「薬」と高取のつながりは古くは万葉の昔にさかのぼります。
もともと薬となる動植物が生息していたことに起因した飛鳥の宮廷行事の一環として雅やかに薬狩りが行われていました。
以来千数百年の歴史を経て今日の製薬・卸業・売薬の繁栄がもたらされました。
薬業にたずさわる方はいうまでもなく、歴史的にはもちろん将来的にも「町の顔」として高取町の命をつなぐ存在ではないでしょうか。
高取の製薬歴史年表 | |
大和のくすりは修験者によって全国に広められ江戸時代に入って高取藩植村侯が江戸参勤の長旅の際、薬のサンプルを携えて他藩主に贈り、販路拡大に一役買った。 | |
享保12年 | 土佐の藤九郎ら幕府の奨励で城山に薬草を栽培して研究に従事する。 |
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文久3年 | 高取藩、天誅組を鳥ヶ峰に迎撃敗走せしむ頃、当町域で薬種仲間に加入のもの23名。 明治16年になるや売薬印紙税が施行された。 定価の10%の印紙を一袋毎に貼付する税金の前納であった。 |
大正5年 | 高取薬業会が設立され、初代会長川田滋美氏となる。 |
大正15年 | 病人に課する悪税という訳で売薬印紙税撤廃となり、これが業界に及ぼした影響は大きく、折も折り、欧州戦後の世界カゼが伝播しカゼトンプク及び六神丸の需要が急増売行目ざましく黄金時代であった。 |
昭和18年 | 企業整備によって高取製薬(株)創立株主58名 |
昭和20年 | 終戦と共に解散。昭和22・23年法人個人あわせて24企業が昔の姿に看板を掛け替えたが物資不足の状態は長くつづいた。 |
昭和29年 | 旧高取町 越智岡村 船倉村 合併により、新高取町となる。 |
昭和50年 | 医薬品製造並びに品質管理に関する基準(GMP)の実施。 各社においては更に優秀な医薬品の生産に設備の近代化試験室の充実など全力を投入。 今日、伝統ある高取町のくすりは全国津々浦々に至る販売網と共に益々躍進を続けております。 |