- 薬師如来について
奈良公園にある興福寺国宝館の人気ナンバーワンは、「仏頭(薬師如来)」と「阿修羅(インドの鬼神)」であろう。中でも、この仏頭(薬師如来)は私の一番好きな仏像である。奇しくも、我々薬剤師の尊敬すべき象徴(シンボル)の薬師如来であり、私としては仏縁に導かれた大因縁であろうか。
さて、この仏頭が興福寺の東金堂の修理中、須弥座の下より発見された昭和12年、私は10歳の小学生であったが、今でもその新聞の記事写真等が鮮明に私の脳裏に残っているのである。古文化を研究するようになった20歳すぎより、それが、また、いつも私の脳裏から映像となって離れないのである。何か、生まれながらにして私はこの仏頭(薬師如来)と仏縁が出来ていたのであろうか、この原稿等を執筆するため、山田寺跡や興福寺を訪れたのも、平成11年12月1日で、奇しくも私の72回目の誕生日(昭和2年12月1日)であった。
さて、仏頭(薬師如来)の数奇な運命といおうか変遷を、山田寺に奉納するため自費出版された京都教育大学付属高校の山嵜泰正教諭の文献冊子により、次の通り箇条書に記述してみよう。
さて、幾多の災難に遭いながら不死の仏頭(薬師如来)として、しかも、この清らかな童顔、きりっとした高い鼻梁(びりょう)の青年像は生き生きとして、老化せずに生きている。
それは、白鳳時代(特に美術史の時代区分のひとつ、飛鳥時代と天平時代の中間。7世紀後半から8世紀初頭まで)という、現在の日本の原型が出来た天武・持統朝での天皇の権威の確立、律令の制定、記紀の編纂の開始、万葉歌人の輩出、仏教美術の興隆など、初唐の文化の影響の下に力強い清新な文化を日本人が主役となって創造した時代であったからであろう。
異国人に直接手をからず、日本人の発想と技術を使って、初めて日本人が造った仏像、これが「山田寺の仏頭」ではなかろうか。
異国調独特のあの飛鳥仏から完全に抜け出た日本人の仏像、日本の文化の誕生という意味で私は白鳳仏が大好きである。特に、この山田寺の仏頭(薬師如来)は好きで好きでたまらない。
135才を元気で美的に突破する目標を持つ、長寿実践家の薬剤師・喜多稔として、多難を超えて老化しない薬師如来の仏頭は私のあこがれである。
私のペンネームは、いつしか「薬師天狗」と命名されていた。いろいろの苦難を乗り越えて今なお凛然とした姿の仏頭・薬師如来を私は尊敬し愛しつづけている。
僭越ながら歌人・薬師天狗として「山田寺の仏頭(薬師如来)」を偲び、賛えて和歌を一首献上さしていただこう。
仏頭(薬師如来)賛歌
多難越え 青年薬師 現代(いま)も生き
白鳳の顔 凛と輝く
薬師天狗 謹詠