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法隆寺と薬師信仰などについて

(5)牛玉宝印と生土宝印、どちらが正しい?

法隆寺 西円堂の修二会(しゅにえ)の薬師悔過(けか)に使う

 東大寺、二月堂の「お水取り」で広く知られている行事は、正式には「修二会」と云って、天平 勝宝四年(七五三)に東大寺の僧が創始したと伝えられている。

悔過(けが・罪を悔い謝罪するこ とで薬師・観音などを本尊として)とは即ち一定の作法により行う仏式儀式である。

法隆寺では二月に西円堂(本尊・薬師如来坐像)で行われるが、広長元年(一二六一)二月八日から始められたとされ、「西円堂修二会」と呼ばれ、もとは勅会(ちょくえ)だった。

結願(けちがん)後の法楽 (ほうらく)として行われる鬼追いも有名で同じ年に始まっている。

なお、この初春に行われる修 二会、修正会などの悔過法要で「牛玉宝印や牛玉像」は重要な役目を担っている。

 修二会では、法要の始めに「牛玉降(ごおうおろし)」が行われる。

錫杖を鳴らし牛玉を堂内に 呼びこみ、その活力により法会の無事を祈り、魔障を払うものである。

 「牛玉(ごおう)」とは、動物性生薬である「牛黄(ごおう)」のことである。

牛の胆石を陰乾 にし、濃い黄色をしたサイコロ状の塊(かたまり)型になったものが多い。

 現在は、殆んど南米などから輸入される。昔から金よりも何倍も高い貴重な漢方生薬の原料である。

東洋では牛黄の医療的利用は西紀前より始まり、中国でも六世紀以前より、解熱、解毒、強心 などに広く用いられた高貴薬である。

成分は結合型ビルビリン、タウリンなどを含み、赤血球新生 促進や、解熱、強心、利胆…などの作用が報告され、古来より高貴珍重な生薬として使われている。

現在も医療品として漢方一般用医薬品製剤に配剤されている。

ずっと昔は、高貴品ゆえに偽造品が 多かった。私の製薬会社は祖父の代より牛黄入り製剤を主薬としているので、私自身は牛黄には五 十年余の経験を持っている。

有効成分は確定されていないが、強心・肝臓等に良いとして、神秘性 をも加味し根強い人気がある。

戦前の牛黄の説明文には、宇宙から落ちて来た隕石(いんせき)や その土より出来た草などを食べた牛の腹中に牛黄が生じ、だから、何千何万という牛の、その一頭 ぐらいからしか牛黄はない珍重な原料であるとの説明文が、まだ記憶に残っている。

 そのように牛黄の珍重性は、昔から大変に尊い、現在、辯当箱ぐらいの容器に一杯でも何百万円 もするものである。

 さて、難波恒雄博士(富山医科薬科大学・名誉教授、私も懇意にさしていただいている)の著書 による「漢方・生薬の謎を探る(一九九八、八、発行)」には、「牛黄」のことを詳しく記述されている。

その中の…特異な記述を紹介しょう。

…牛黄は「神農本草経」の上薬に収載され、その薬 用起源は、インド・アーリア民族(筆者・注、釈迦は古代インドに侵入してきた白色人種に属する アーリア人だと信じられている。

黄色人種説もある。

と副島先生の著書にある)が、見つけ出した もので「金光明最勝王経」に「瞿盧折娜(くろせつな)」の名で収載されている。

 かって、日本の寺院で「牛黄宝命」とか「牛玉」という護符を出したことがあります。
(筆者・ 注、かって…と書いておられるが現在でも法隆寺ほか、多くの寺も出している)
 これは、無病息災を願ったお守りですが、牛黄を溶かした朱色(黄色)の墨液を毛筆でタテ約三十cm、ヨコ約十cm位の和紙に「牛玉宝命」などと書いて、お寺が祈祷して、護符として有償で与え たり配布したりする。

 しかし、これには議論があると、難波博士は書いておられる。

その理由は、江戸時代の小野蘭山 が書いた薬物書「本草綱目啓蒙(一八〇三)」に「又俗に民家の門上の牛玉宝命と書する符を牛玉 と云う。

此は本(もと)、その土地の神社より出す符なり。

故に(生土宝印)と書するを、今は多 くの法華寺系の寺院より此符を出し、誤って(牛玉宝印)と書す。

これは、この生の字の下の一画 を、土の字の上に連ねて牛玉(筆者解説、生→一→土→玉、牛玉となる)となし、宝の字と印の字 の間に人のの字を添えて命となすなり」とあります。
(難波博士曰く)どうもこれが正しいようです。
難波博士の著者以外でも、このようなことを書いた本を見たように思います。

 法隆寺さん等の寺院の重要な行事の中の有難い護符に、こんな記述を紹介し、ケチを付けるよう なことをしては、私も罰の当ることで法敵の謗(そし)りを受けるかも判らないと心配していくま す。

しかし、私も難波博士と同様な意見ですから、いたしかたありません。

ふとまた感應したので すが、難波博士は大阪の生まれですので、聖徳太子のゆかり深い四天王寺や難波等、難波薬師と連 がりがあるのでは?。

そうであれば、これも仏縁の因縁であるのかも判りません。

 また、大角修氏の「ブッダ=真理に生きた聖者」を読んでいると、私は牛玉と釈迦の因縁が生じ てきたのか、ハット第六感がヒラメキました。

即ち、釈迦の姓(民族名)は「ゴータマ」、この言 葉は「最も良い牛」という意味である。

インダス文明の頃から、牛は神聖な動物とされ、ヴェーダ 聖典(インド・バラモン教の根本聖典)でも、神に捧げる聖なる動物であった。

また、名前は「シ ッダールタ(勝利を手に入れる者、目的を達した人)」で、釈迦は少年時代は美しく、髪の毛は青 色をおびた黒でつややかに光り、目のひとみは亜麻の花のように青く(筆者感想、やっぱりアーリ ア系の白人か?)、深い湖の水のように澄みきっていたとある。

それで、釈迦の姓名「ゴータマ・ シッタールタ」を日本語文字にすれば「ゴータマ(牛玉)・シッタールタ(目的を達した人)」と なり、「牛玉で目的を達した人」にあやかって、「牛玉(黄)宝印」の護符を配布している。

との筆者喜多新説は説得力があるように思いますが如何でしょうか。

仏教と牛、修二会と牛玉は、離れ られない因縁で結ばれていたのであろう。

 本当に不思議なことに、釈迦の姓の「ゴータマ(音ヨミ・牛玉、意味・最も良い牛)」とは不思議なものである。

 きっと、古代より「牛黄」が高貴珍重で良く効くから、その御利益を狙った頭の良い僧侶が居たのでしょうか。

 本稿は、これでとどめますが、アクセスして下さった皆々様より、これらについての御意見御感 想をいただければ幸いです。


文筆者
 (社)奈良県薬剤師会
 名誉会長  喜 多   稔
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牛黄・ゴオウ

牛黄は、「神農本草経」に上薬(常用としても良い保健薬的なもの。人参などと同じ。)として収載され、その薬用起源は、インド・アーリア民族(筆者・注、釈迦白人説の基となっている。釈迦の出身部族?)、が見つけ「金光明最勝王経」に「くろせつな」の名で収載されている。

 上記写真の牛黄(ゴオウ・牛の胆石)は、南米ブラジル産である。

 インド牛黄(くろせつな)は、南米産などに比べ、表面が「黒っぽい、黒ずんでいる」ように見え乾燥度も悪い。(筆者の鑑薬経験より。)それで、(くろせつな)との表現名があるのかと、何となく思っている。(又は採集方法が異なるのか?)

 日本での薬品価値としての牛黄は、オーストラリア産(上級・赤身の黄色)南米ブラジル産(中級・黄色)、インド産(下級・黒ずんだ黄色)となるのでは。(筆者の感覚価値観)これは、牛黄の成分である「胆汁色素ビリルビン(真黄色)」の含有量によるのでは。(但し、筆者の想定。)ほかに北米、ヨーロッパ、中国、旧ソ連産などあるが、現在日本では南米産の輸入量が最も多い。

 筆者としては、釈迦白人説に関連して、牛黄の発見が、インド・アーリア人である意味が大きい。それは、肉食人種(白人種系)のアーリア人が、牛を解体した時、牛の胆石を発見(どの牛にもない、胆石のある牛は僅少)して、薬効を経験上感知し、中国を経て、現在も日本で薬用や護符に使われている事実には、深淵な議論が含まれているように観念している。

また、漢字辞典によると、「瞿曇(くどん、梵語読みでは、ゴーダマ)」は、釈迦の在俗時の姓である。牛黄の漢字よみの(くろせつな)の(く=瞿)と、釈迦の(瞿曇)の瞿(く)は、全く同じである。釈迦と牛黄、釈迦と牛とアーリア人は、切っても切れない証拠が、ここで成立する。お釈迦様は、やはりアーリア人(白人)であったのだろうか?