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image 吉祥草寺紹介

吉 祥 草 寺

吉 祥 草 寺
 山伏(修験者)修験道の開祖 役小角(えんのおずぬ、役行者・神変大菩薩)の御生誕地。
 役小角の開基、皇極3年(B.C644)吉祥草を結んで精舎の形を造ったのが本寺の原型となる。

正月14日夜、庶民歓喜雀躍(喜び集まって)寒中の暖をとるために持ち寄った松明(たいまつ)で「どんど」をしたのが左義長(とんど)行事の始まりという。

当寺の焼失と寺領の喪失

 皇室の勅願寺として皇室との関係が深かったので建武の時代のあと南朝方となっていたため後村上天皇貞和5年(B.C1349)正月足利尊氏軍南朝吉野行宮を攻めるとき高師直に7堂伽藍悉く焼かれ焦上と化し寺領すべて失う。
 この寺院跡に人が移り住み四周の村落の住民ととともに広大な寺院伽藍跡を水田として開き、根本中堂であったと思われる所に現今の本堂を後小松天皇応永3年(B.C1396)に建立昔日を偲んだのである。

 役小角(役行者・神変大菩薩)の伝記
 舒明6年(B.C634)大和国葛木上郡茅原村(現御所市大字茅原)の賀茂氏の家に生れ幼くして、叔父の願行上人に不動の慈救の咒を授けられる像となり得るが名刹の欲を離れ自然の偉大な心理を悟り、これにより苦悩する民衆救済を本領として私度僧として厳しい山岳修行によって得た神通力のみでなく山野の草木の中から薬効を見出され、これらを駆使して幼にし本願とされた人の病や苦悩の平癒に全力を注がれ民衆救済万民豊楽の実現に生涯をかけられたのであります。
 現今に伝わる『陀羅尼助』は役小角が創薬されたものと伝えられ茅原にはこれをつくっていたと伝えられる他「だらに」の小字名が残っています。役小角は日本における和漢薬の創始者といっても過言ではないのであろうと思います。
 毎年10月には奈良県製薬業界の方々のみでなく薬業関係各位団体の方々が役小角の偉業を偲ぶと共に薬業関係物故者の追福増進菩提を当寺で盛大な法要を営んでおられます。

本寺に安置されている佛像等

本堂: 本尊五大明王、愛染明王、地蔵尊、薬師如来
行者堂: 役行者自作と伝わる役小角32才の行者像 役小角の母君「白専女」像
観音堂: 千手観音像(役小角の母君本地佛)、弘法大師像、善光寺如来

1月14日夜 左義長(大とんど)法要(国・県の無形民族文化財指定)

大とんど
大とんど





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